高い所は鳥の為に。低い所は旅人の為に。

種の交換会

私の家は、固定種だろうが、F1種だろうが、

種を植えたら、よっぽど途中で枯れたりしない限り、

最後に種を採る~までが一連の作業で、

それが、祖父母も父も、フツーにやっていて、
だから私も、それが当たり前だと思っていたので、
数年前に自家採種の種の交換会に参加してみて、
世間の皆さん、実はそんなに自家採種されてないのね…
ってことに非常にびっくりしました。

高い所は、鳥の為に。低い所は、旅人の為に。

我が家では、どんなに美味しくても、
「高い所は、鳥の為に。低い所は、旅人の為に。」
と、果樹でさえ、一本の木から、全ての実を採ってはいけない!
と言われて育ったので、
野菜も必ず最後は、種用に残してしまいます。
買ってきた野菜や果物でさえ、カボチャやスイカなどなら
種を採って植えてみます。
みんな出来た野菜を、全部食べきっているから、種採ってないのかな…?
途中で、放置になっちゃって、立ち枯れして、種採れないのかな…?

という私も…

F1だとか固定種だとかいうの知らない頃もあったわけで。
スーパーで買ってきた野菜や、ホームセンターで買ってきた苗から
種を採取していたのですが、
なんだかうまい事、野菜にならないことが多く、
「なんでや?」といろいろ調べて初めて、
スーパーの野菜やホームセンターの苗からは
種を採っても「次世代」に繋げられなく「操作」されている
という事を知ったのです。

すべてを採り尽くさないということ

野菜にしろ、山菜にしろ、果実にしろ、魚にしろ、
すべてを採り尽くしてしまっては、
次世代が育ちません。

今の「人間」も、もしかしたら高度成長期からバブル期で
先人が創り、繋げてきたものを
すべて採り尽くしてしまったのかもしれません。

誰かが、遺したものを誰かが育て、
そして、すべてを採り尽くさず、

「高い所は鳥のために。低い所は旅人のために。」

私利私欲を肥やすためではなく、
誰かのために、なにか少しでものこしておける
そんな余裕が欲しいですね。

種をつなぐ

自家採種の種は、だんだんとその土地に合ったものになる
(その土地で生き残るために順応していく)ので、

何年も何年も繰り返し続けていく事で
自分の畑に合った強いものになっていきますが

一方で、1年でも間が空くと、
発芽率も一気に下がり、
そもそも苗にならないという事があります。

たとえばきゅうりなら、1本の苗からでも
そのシーズンに10数本くらいは収穫できるでしょう。

そのうちの1本のきゅうりからは
10数個の種がとれるでしょう。

そういう風に、すべてを採り尽くさず、
すべて食べてしまわず、
次のために1本でものこして種を繋ぐというのが
大切だと思っています。